「組織と人間の統一的発展」について━━党の文献を紹介します
「組織と人間の統一的発展」に再び光をあてた4中総
2025年1月10日・11日に行われた日本共産党の4中総で、7月に行われる参議院選挙の政治論戦の方針が示されました。論戦は2本柱で、1つのテーマは政策的訴え、もう1つのテーマは日本共産党の魅力の訴えです。後者の内容として、日本共産党が「人間の自由」が花開く未来社会を目指す党であることと同時に、党組織と党活動の魅力を語っていくことが呼びかけられました。
この党組織の魅力の中で、「組織と人間の統一的発展」を語っていこうと示されました。該当の文書は以下のとおりです。
日本共産党29回大会期・第4回中央委員会総会「決議」1章(4)より(2025.1.10-11)
人間は進歩的組織とともにあることで、人間としての自由を獲得し自己を成長させることができる。同時に、組織を構成する一人ひとりの人間が豊かな成長をかちとることこそ、組織の発展の最大の保障となる。日本共産党に集う人々は、こうした「組織と人間の統一的発展」という立場にたって、努力している人々である。
この「組織と人間の統一的発展」について、日本共産党の歴史を紹介します。
「一人ひとりが成長する党になろう」志位議長の2024年の発言
2024年3月14日に開催された、全国学習教育部長会議(全国47都道府県の党組織にそれぞれおかれた党内学習・教育の責任者の会議)で、志位和夫議長が「“三つの合言葉”で学習教育活動の強化を」というテーマで発言しています。
志位議長は3つの柱で発言しており、このうちの3つ目の「一人ひとりが成長する党になろう」という柱の中で「組織と人間」について触れています。しんぶん赤旗に掲載された、該当部分を紹介します。
2024/3/14 全国学習・教育部長会議での志位和夫議長の発言より(しんぶん赤旗2024年3月21日掲載)
第3に最後の問題です。学習教育の力で、「一人ひとりが成長する党になろう」。これを合言葉にしたい。
一人ひとりの人間として、そして日本共産党員として、みんなが自分自身の成長を願っていると思います。その最大の保障になるのは何か。今日、参加されている学習・教育部長のみなさんも、お一人おひとりの成長の軌跡を振り返ってみれば、やっぱりその一番の糧になったのは、社会進歩の事業に対する理論的確信ではないでしょうか。理論こそ、成長の糧です。大会決定の徹底を、この角度からもぜひ重視していきたい。このように思います。
「共産党に入ると自由がなくなる」という議論は昔からあります。この問いに対して、私は、だいぶ前のことで恐縮なんですが、1987年に『今日における組織と人間』という論考を書いたことがあるんです。
私は、この論考の結びに、いわゆる近代主義的個人主義の立場から、組織と人間というのはもともと対立したものなんだ、組織というのは必ず組織悪をつくりだす非人間的なものなんだと主張した作家の伊藤整氏の議論を批判して、宮本顕治さんが述べた言葉を引用して、つぎのように述べました。
「『伊藤整が、「組織と人間」という設定で、組織にある人間の宿命的非人間性という主題をくりかえし書いた。私は、これを信じたことはない。この組織と人間の統一的発展の可能性にこそ、組織を武器にする新しい人間、新しい歴史の前進の保障があると信じている』(『宮本顕治文芸評論選集第四巻』の「あとがき」、1969年)
人間は進歩的組織とともにあってこそ、人間としての自由を獲得し自己を成長させることができる。同時に組織を構成するそれぞれの人間がみずからをきたえ自己変革をすすめていくことは、組織の発展の確固とした保障となる――こうした『組織と人間の統一的発展』という見地こそ、科学的社会主義の立場からの『組織と人間』というテーマにたいする一つの結論といえるでしょう」
「組織と人間」という見地で見てみますと、大会決定は、その全体が、党員一人ひとりの成長、発展、自己改革について、それが党の組織の発展と響きあいながら前進するということについて、さまざまな角度から、豊かに解明し、強調したものだということがいえるのではないでしょうか。
志位和夫『今日における組織と人間』1987より
志位和夫議長の前述の発言に出てきた文献です。志位議長が中央委員会の青年学生対策委員会事務局長だった1987年に雑誌『前衛』に寄稿し、その後同題パンフレットとして党出版局が1988年に発行した『今日における組織と人間 青年の生き方の問題にも触れて』から、該当部分をご紹介します。
なお、日本共産党はこの文章中に出てくる「前衛党」という用語を、現在は使っていません。前衛がいれば後衛がいるように誤解を招く言葉だからです。代わって、前衛党という言葉にこめられていた精神を「不屈性と先進性」という言葉であらわすようにしています。
はじめに
つぎの声は、東京のある国立大学で、日本共産党や民青同盟への加入をよびかける運動をすすめるさいに疑問としてだされたものです。
「組織にはいるとしばられる。勝手きままに生きたい」
「組織の一員となると自分の生活が犠牲にされる」
「組織にはいると特定の見方にかたよってしまう」
「親にはいらなくても、一人ひとりが正しいと思うことをやればよい」
「『草の根』的組織ならよいが、政党となるといやだ」似たような疑問は、多かれ少なかれ広く青年のあいだで耳にするものでしょう。一部では、青年の「組織ぎらい」とか、「私生活主義」などと、組織や集団とはなれて個人の生活を重視するところに、現代青年の本質的特徴があるかのような議論もおこなわれています。
組織と人間、あるいは組織と個人とは、どのような関係にあるのか。右に紹介した声がいうように、それは本来的に対立しあうものなのか。この問題は、古くからある問題であるとともに、すぐれて今日的な問題でもあります。とくに、まじめに人生を考え、自分の成長をねがっている現代の青年にとって、この問題は少なくとも一度はぶつからざるをえない問題であり、納得のいく解明がもとめられている問題であるといえるでしょう。
そこで本稿では、現代の青年の状態や意識の若干の新しい特徴もふまえながら、今日における「組識と人間」というテーマに、いくつかの角度から接近してみることにします。以下、第一章では、青年のだれもがねがっている個人の幸せや自由と、社会進歩のかかわりについて、第二章では、多くの青年が参加しているサークル組織と、社会進歩のかかわりについて考えます。この二つをつうして青年の切実なねがいとの関係で進歩的組織がなぜ必要かを検討します。第三章では、組機の一員になることと人間の自由が対立することなのかどうかという問題、そして第四章では、青年にとっての真の生きがいとはなにか、なにがもっとも人間らしい生きかたなのか、青年のたしかな成長を保障するものはなにかということを考えます。
1,個人の幸せと社会進歩
一人ひとりの人間にとって、たった一度きりしかない人生はなにものにもかえがたい大切なものです。そしてだれであれ、このみずからの人生を幸福にすごしたい、不当な束縛をうけずに自由にくらしたいとねがっています。とくに将来にきまざまな夢をたくし未来にむかって生きる青年にとって、一人ひとりの幸せと自由をまもり豊かなものにしたいという思いは切実なものです。
同時に、私たちはみな好むと好まざるとにかかわらず、日本の社会の現実のなかで生活しているというのも事実です。どんな人間も一人だけでは生きていくことはできません。自分は社会にも組織にもしばられずに一人だけで生きていると考えている青年がいたとしても、その青年は無人島で自給自足の生活を送っているわけではありません。生きていくためには、すくなくとも衣食住その他の生活手段が必要ですし、そのために社会とさまさまな形での関係をむすばなくてはならず、職場、学校、地域などの多種多様な場において、人と人とのつながり、組織との関係をもって生活しなければなりません。科学的社会主義の創建者の一人であるマルクスは、人間の本質を「社会的諸関係の総体」(「フォイエルバッハにかんするテーゼ」)であるとし、人間と社会との深い結びつきを人間にとって本質的なものとして強調しましたが、どのような立場にたつ人であれ、人間がなんらかの形で社会や組織とつながりをもって生活していることを否定することはできないでしょう。
そこでまず考えてみたいのは、個人の幸福や自由と、社会や組織との関係という問題です。
(中略)個人の幸せと社会進歩、進歩的組織の統一
…青年が真の意味での個人の幸せや自由をえようと思うならば、それをはばんでいる社会や政治の現実から目をそらすのではなく、社会や政治の現実そのものを変えることが必要となるでしょう。今日の日本が「幸せな家庭」という青年のあたりまえのねがいすら保障しえない社会であるとするなら、この社会を青年の真の幸せと自由、平和を実現できる社会へとつくりかえていくことこそが大切なことでしょう。個人の幸せと社会進歩を統一的に追求してこそ、自分自身の本当の幸せがえられるとともに、多くの人びとにとっての幸せかかなえられることになるのです。
それを実現していく力はなにか。それが人間の団結の力であり、組織の力です。現在の社会を変えるためには、それをはばもうとする反動勢力とのたたかいが必要です。そのためには、各個人がバラバラで行動するのではなく、その力をあわせることが不可分であることはいうまでもありません。反動勢力の側からみれば、青年がバラバラでいることは、その支配を維持していくうえでもっとも好都合なことてあり、彼らは青年がみずからの幸せのために組織に結集することを、さまざまな手段をもちいて妨害しています。彼らにとって国民と青年の団結と組織こそは、もっとも恐ろしいものなのです。青年がみずからの幸せをねがうならば、それは団結と組織をぬきにしてはありえません。
(中略)
…人間は、みずからの幸せと自由をねがい、要求を実現するために、いろいろな組織をつくってきました。青年がみずからの幸せと自由を本当に得るためには、青年自身が「私生活主義」の枠をのりこえ、みずからの自覚的意思にもとづき、その要求や条件におうじてこれらの革新的・進歩的組織に一人ひとりの力を結集きせることこそがもとめられているのではないでしょうか。
個人の幸せと社会進歩、進歩的組織との統一にこそ、一人ひとりの、同時に多くの人びとの幸福を実現する道があるのではないでしょうか。
3、人間の自由と組織
私たちは、個人の幸福を社会進歩とむすびつけて追求することの大切さ、サークル活動と革新的・進歩的組織との共同をつよめていくことの重要性についてみてきたわけですが、ここでつぎのような疑問がだされるかもしれません。
「なるほど個人の幸福にとって進歩的組織が必要であるというのはわかるが、自分が組織の一員になるということになると、やはり自由がしばられて、自由な判断や、自由な行動、自由な生きかたはできなくなってしまうのではないか。組織にはいらないでも自分なりにかんばるというやり方もあるのではないか…」
たしかに、進歩的組織にはいらなくても、社会進歩のためにがんばっている人は少なからずいますし、日本共産党など進歩的組織の側もそうした善意の民主的人士との協力を発展させることを重視しています。しかし、進歩的組織にはいることは、本当に自由と対立することなのでしょうか。どこの組織にも属さないことが、真の自由なのでしょうか。つぎに考えてみたいのはこのことです。
前街党と人間を対立させて描く反共攻撃
この問題でまずのべておきたいのは、進歩的組織が青年と対立するものであるかのように描き、それから青年を切り離そうとするきまざまなイデオロギーが青年のまわりに池意していることです。こうしたイデオロギーを、「組織と人間」という問題とのかかわりで整理してみると、現代者年に影響力をもっているものとしては大きくみてつぎの二つの流れがあると思います。
その一つは、日本共産党や民青同盟に攻撃の焦点をしぼって、これらの組織とくにその組織原則になっている民主集中制を、個人の白由を抑圧する独裁的なものとして攻撃するというものです。
(中略)
また学園でこうした反共攻撃の先頭にたっている勝共連合(※注 統一協会の政治組織)は、よりふざけた下劣な表現でつぎのような攻撃をおこなっています。「民青同盟とは、就職もあきらめ、勉強もサークルもやめて、赤旗拡大だけの自虐的学生生活を送りたい人にうってつけの組織です。失われゆく青春、滅びゆく人生。君から将来を奪い去る民青同に気をつけましょう」(「東大共産研」のピラ)。こうした攻撃は、洗脳によって青年の人格を破壊し、学業も放棄させて、反社会的な金あつめや自由と社会進歩に敵対する反共謀略活動に青年をかりたてている勝共連合の組織にこそあてはまるものです。
(中略)
彼らの攻撃はなんの根拠もないデマにすぎないものです。しかし、日本共産党や民青同盟の組織を、就職、勉強、サークル、青春、将来、およそ個人の幸福や自由を一切合財うばいきる非人間的なものとしてゆがめて描くこうした攻撃が、少なくない学園で大量の直伝物をつうじておこなわれていることが、「組織にはなんとなく近よらないほうがいい」というような進歩的組織にたいする学生の拒否感をつくりだす大きな要因の一つとなっていることは事実です。ごく一部にですが、こうした反共攻撃に屈服して、民主集中制の放棄あるいは弱化を要求するという動きもありました。日本共産党から脱落した東大院生の反党分子が、党の自覚的規律を「警察的制約」などと、組織が個人をしばりつけ統制するための手段という角度からのみゆがめてとらえ、分派の容認など民主集中制の原則を放棄することを要求したことは、記憶に新しいところです。
論壇の一部にも、発達した資本主義国での革命という特殊性を理由にして、前衛党の民主集中制の規律の必要を否定したり、その弱化をもとめるという議論もありました。これらの議論においても、前衛党の規律は、敵とたたかい人民の解放をかちとるために必要なものであるという観点ぬきに、個人や人間を抑圧する危険性をもつものであるという角度からとらえられていました。そうなると結局、組織の規律は弱ければ弱いほどよいということになってしまうわけです。
「組織」一般と「個人」との対立を説くもの
いま一つの流れは、「組織」一般を「個人」の自由を束縛するものとしてしりぞけるというものです。どんな組織であれ、組織であるかぎりはそれは個人を抑圧するものとならざるをえないという、いわゆる「組織悪」というとらえかたです。
こうした主張も実は古くからくりかえされてきたものです。戦後の日本でも、たとえば作家の伊藤整が、一九五三年に書いた「組織と人間」という論文のなかでこの問題についてのべ、「現代の人間は、自由な生命と判断と意見とを持つ権利を失い、組織に従属する傾向を強く持っている。そして組織のみが、必要な人間を取り入れ、不要な人間を排除しながら、真の生命としてこの世に生きているように見える」などと、組織と人間とが二律背反的に対立しあっているということを主張しました。ここには、近代主義的個人主義の立場からの組織観が典型的にあらわれています。
(中略)
伊藤や岡本の議論は、それ自体は古いものですが、こうした考えはさまざまな形でくりかえし再生産されて、今日においても青年に少なくない影響をあたえています。抑圧のための組織と自由のための組織
いまみてきた二つの流れの議論は、それが日本共産党や民青同盟を攻撃の焦点にすえるか、組織一般を否定の対象とするかのちがいはあっても、進歩的組織を人間の自由を抑圧する存在であるかのように描くという点では共通しています。これらの議論とのかかわりで、「組織と自由」という問題をいくつかの角度から考えてみたいと思います。
その第一の問題は、ひとくちに組織といっても、人間の自由と本質的に対立している組織もあれば、人間の自由にかなった組織もあるということです。
組織と人間とが本来的に対立するものであるかのように描くさまざまな議論の多くは、まったく異なった目的、性格をもった組織を意識的、無意識的に混同させて、組織一般と個人の関係を抽象的に論じ、「組織悪」という結論をみちびくところにその特徴があります。また、本稿の冒頭に紹介したような組織にたいする青年の疑問も、この点が十分に整理されていないことが、組織一般への拒否感が生じる一つの原因になっていると思われます。
たしかに私たちのまわりには、人間の自由を抑圧することをその本質とする一連の巨大な組織や機構が存在しています。その代表格の一つとして独占資本の組織や機構をあげることができるでしよう。
(中略)
この組織にあっては、目的は利潤を確保しそのために組織を強化していくこと自体にあり、人間はそのためのたんなる手段にすぎないという、転倒した関係が生まれます。またこの組織への「加入」は、事実上強制的なものです。企業に職をもとめることは、形式的には個人の自由な意思にもとづく契約関係ですが、そうしなければこの社会では生きる道がないという意味において、実質的には強制的なものです。
(中略)
自分は組織とは無関係にくらしていると考えている青年も、現実にはこの自由を抑圧する組織にその一員として組みいれられるか、あるいは深くかかわらざるをえません。
(中略)
同時に、同じ組織といっても、右のような組織とは正反対に人間の自由をまもり拡大することをその本来の目的とする組織も存在しています。自由をまもり拡大するためには、自由の抑圧者とのたたかいが必要です。そしてそのための組織が必要です。
(中略)
日本共産党も、党の綱領と規約をみとめたものが、あくまでもみずからの自主的な意思で参加する自覚的結社です。構成員の自覚のみがこれらの組織をささえ、発展させる力なのです。以上のような意味において、こうした組織にあっては、組織と人間のあいだに原理的な対立はもともと存在しておらず、両者の真の統一が可能になる組織であるということができるでしょう。前衛党における規律と自由
しかし、ここでなおつぎのような疑問がのこるかもしれません。
「自由のための組織といっても、組織であるかぎりなんらかのルールや約束があるだろう。共産党ならば党の規約、民青同盟なら同盟の規約というように、組織にはいれば一定の規律にしたがわなくてはならない。それは結局は、個人の自由になんらかの制限をくわえる強制的拘束ではないか……」
そこで、「組織と自由」をめぐる第二の問題として、進歩的組織における規律とはいったいなにか、とくに日本共産党、前衛党の民主集中制の規律とはなにかということを考えてみることにします。
たしかに、進歩的組織にあっても、自由を抑圧する勢力とのたたかいのためには、組織内外のさまざまな問題を正しく処理して組織の統一と団結をまもり発展させるために、規律、ルールが必要です。そして、その規律は組織のメンバーにたいして一定の「拘束」という性格をもつことはいうまでもありません。
(中略)
しかし、こうした前衛党における規律を「自由」と対立する「強制」ととらえることは正しいでしょうか。一つに、前衛党の規律は、反動勢力のさまざまな圧道とたたかって、人間の自由を拡大し、最終的にはあらゆる人間の自由な発展を保障する共産主義の社会をつくるためのものです。日本共産党は、現在および将来の自由の問題について、「三つの自由」(生存の自由、市民的政治的自由、民族の自由)をまもり発展させることをあきらかにしていますが、こうした自由の発展は自然にすすむものではなく、自由を抑圧する反動勢力の集権化された組織のさまざまな弾圧、妨害、障害に抗しての階級闘争をつうじてかちとられるものです。党の統一と団結と強力な実践力を発揮することを保障する民主集中制の規律は、あくまでもそうした自由をかちとるたたかいのための手段にほかなりません。
二つに、民主集中制という規律によってこそ、全党が正しい認識にたっすることがもっとも合理的に保障され、党内に意見の違いが生した場合でも、それを正しく解決することが可能となるということです。社会と歴史の法則の正しい認識は、人間の自由な活動の根本的な条件ですが、それを保障するものが民主集中制の規律なのです。科学的社会主義の世界観は、人間が客観的真理を認識できるということに立脚していますが、全党の実践と英知をつうじてねりあげられた党の綱領や大会の決定は、こうした客観的真理にほかなりません。また、それは同時に、人間の認識はいっきに絶対的真理をあますところなく認識することはできず、真理の認識は近似的、相対的であるということを主張します。この点で、党の規約は、党の方針が誤りをもち、少数意見が正しいという可能性を排除しておらず、党員が党の方針に意見や異論をもった場合には、それをルールにそって明確に表明することを認めているし、決定に同意できない場合に自分の意見を保留する権利もみとめています。その場合でも決定は無条件に実践することが必要であり、そうした実装をつうじてこそ、なにが真理なのかを検証することができます。各人がバラバラに行動していては党の統一した実践は保障されず、なにが真理なのかを検証することもできません。実践をつうじてかつての少数意見の正しさが明確になれば、それが多数意見ないし全党の一致する認識になることもありうることです。
三つに、前衛党における規律は、他からおしつけられたものではなく、あくまでも党の目的と党規律の必要を自覚したものが、みずからの自由な意思にもとづいて自覚的にまもるべき基準であるということです。日本共産党は、結社の自由にもとづいてつくられ、入党はもちろん自覚的意思にもとづいており、規約にもとづくその規律も入党のさいに承認したものであり、自覚的なものにほかなりません。
(中略)
このようにみてくると、前衛党の民主集中制の規律は、けっして「自由」と対立するものでもなければ、外からおしつけられた「強制」でもありません。それは、人間の自由を拡大し真に自由が花ひらく社会をつくるための規律であり、人間の自由な活動の条件である社会と歴史の法則の正しい認識のうえでもっとも合理的な規律であり、人間の自由意思にもとづく自覚的規律にほかなりません。前衛党における規律をみずからの生活の基準としてこそ、人間はより高い次元での自由を得ることかできるといえるのではないでしょうか。人間の真の自由と組織
私たちは、日本共産党をはじめとする進歩的組織においては、組織と自由とはけっして二律背反的に対立しあうものではなくて、本質的な意味で深く統一されうるものであることをみてきました。
これらをふまえて「組織と自由」をめぐる第三の問題としてさらに検討してみたいことは、もともと科学的社会主義の原則的見地は、人間の真の自由ということをとのようにとらえているのかという問題です。
この問題で、まず考えてみたいのは、個々人がすき勝手なことをなににもさまたげられずにおこなうことが、本当の意味での自由かということです。もちろんそれは、自由の一つの契機であるとはいえるでしょう。しかし、それだけでは自由の問題をいいつくせないことも事実です。たとえば、ある青年が現在の生活の苦しさからぬけだしたいと考えて、南の海の無人島に移住して「自由」な生活をしたいと考えたとします。このこと自体は違法なものでないかぎり、もちろん「個人の自由」ということになりましょう。しかし無人島での生活は、天候が少し悪くなればたちまち生存の自由がおびやかされるような苛酷なものでしょう。食糧がなくなったら、病気になったら…..。こう考えればその生活は、少しも自由とはいえないでしょう。なににもさまたげられないことをねがってはじめた生活も、実はさまざまなものによって自由がうばわれる生活となってしまいます。
それでは、もっとも豊かで具体的な自由、真の意味での自由とはなにか。ここで強調したいのは、社会と自然の発展の法則を正しく認識し、それにそって自己の力を発揮し、わたしたち自身と自然とを支配のもとにおくことこそ、人間の自由のもっとも本質的内容をなすものであるということです。さきの例でいえば、青年は生活が苦しいとするならば、自分の生活を苦しくさせている社会の仕組みはどうなっているのかということを正しく認識し、その認識にもとづいて現実の社会を変革するための行動をおこない、社会自体を人間の幸福を保障するようなものにつくりかえることのなかにこそ、真の意味での自由があるのではないでしょうか。そのことを、科学的社会主義の創設者の一人であるエンゲルスは、「自由は、夢想のうちで自然法則から独立する点にあるのではなく、これらの法則を認識すること、そしてそれによって、これらの法則を特定の目的のために計画的に作用させる可能性を得ることにある」、「自由とは、自然的必然性の認識にもとづいて、われわれ自身ならびに外的自然を支配することである」(「反デューリング編」)という表現でのべたことは、よく知られていることです。そしてこうした見地にもとづいてこそ、歴史のなかでの個人の役割、人間の良心、人間の主体的・能動的活動の意義も、それを十分にとらえることが可能になります。レーニンは、「全歴史は、疑いもなく行為者であるところの諸個人の活動から成りたっている。個人の社会的活動を評価するさいに生じる現実的問題は、どのような条件のもとでこの活動に成功が保障されるか、また、この活動が相対立する諸行為の大海に沈没してしまう孤立的な行為にとどまらないための保障は、どこにあるか、ということである」(『「人民の友」とは何か』)とのべ、階級闘争と科学的歴史観に立脚した活動こそ個人の活動の成功を保障し、人間の真の自由を可能にすることをあきらかにしました。
こうしてみると、真の自由とは組織とむすびついたものであるということも、またあきらかではないでしょうか。人間一人の認識は、それがどんなにすぐれた人物であろうと、狭くかきられたものとなることはさけられません。世界を広く深く全面的に認識しようとすれば、そこには組織、集団というものがどうしても必要とされるでしょう。とくに生きた複雑な現実のなかで日本における社会発展の道を正しくつかむには、科学的な歴史理論に立脚し、日本の社会のすみずみとむすびっき、たたかっている組織であって、はじめて可能となることです。よく「組織にはいるとものの見方がかたよる」という疑問があります。しかし、歴史的には未来をもたない現在の反動的体制を維持しようとする勢力が、現実をゆがんだ色めがねでしかみることができないのとは反対に、現実の変革をめざす労働者階級を先頭とする進歩的勢力とその組織は、現実をあくまでも正確に認識し、、真理をどこまでも追求することを必要とします。こうした進歩性と真理性の統一こそ、科学的社会主義の確固たる見地です。
もちろん、正しい認識をもつことにとどまらず、それにもとづく実践が大切です。エンゲルスも「われわれ自身ならびに外的自然を支配する」ということを強調しているように、自由とは自然と社会を変革する実践によって現実のものとなるのです。人間はあれこれを避け逃げることによって自由になるのではなく、みずからを積極的に発揮する力によって自由になるのです。すなわち、自由とはたたかうことにほかなりません。そしてこうした実践、たたかいのためには、一人ひとりの、力を集中した力に結集させた組織が必要であること、それを武器にしてこそ、自由を抑圧する反動勢力の集権化した組織をうちやぶって、みずからの自由と解放をかちとることができるということ、はすでにみてきたところです。
こうして、日本共産党をはじめとする進歩的組織においてこそ、人間は、その認識を最大限に発展させ、その力をもっとも有効に発揮することができる、すなわち自由になることができるのです。
4, 組織と人間の統一的発展
ところで、実際の組織の活動には、さまざまな困難がともなうことも事実です。
「実際に共産党にはいって活動するとなると、職場からは白い目でみられるかもしれないし、いろいろな苦労や犠牲がともなうのではないか、結局は個人の生活をすべてなげうつことがもとめられるのではないか・・・・・・」
日本共産党の路線や活動を支持しながらも、こういう不安やとまどいから入党をちゅうちょしている青年も少なくないと思います。
進歩的組織における困難や労苦について
たしかに、すでにみてきたように、社会変革の事業と個人の幸福は大局的に一致し、前衛党の利益と個人の利益は大局的に一致していますが、それは現実に党における活動と個人の生活のあいだになんの矛盾もないことを意味するものではありません。また、党の活動がなんの困難も労苦もない、安逸なものであるということを意味するものでもありません。それではこうした矛盾、困難や労苦をどうみたらよいか。
一つに、日本共産党は、党の活動と個人の生活とのあいだに生じた矛盾を、同志的なあたたかい配慮によって解決し、最大限に統一、調盤するための努力をおこなうことを重視してとりくんでいます。
(中略)
二つに、同時に指摘しておきたいことは、前衛党の活動が、世間的な意味での物質的繁栄や個人的栄達とは、ときとして矛盾することがきけられないこともありうるということです。たとえば戦前、政党としては唯一侵略戦争への反対の態度をつらぬいた日本共産党は、絶対的天皇制によって野蛮な弾圧のもとにおかれ、党活動をつづけるためには、自分の家庭生活を犠牲にした地下活動や、逮捕、拷問、長期にわたる投獄を余儀なくされました。
(中略)
このようなときに、共産党員としてどういう態度をとるか。このときに、世間的な意味での個人的な幸福の追求に至上の価値をもとめる態度をとったとしたら、みずから不本意であったとしても、党の組織から脱落し社会変革の事業から脱落するという結果になることもあるでしょう。やはり、みずからの科学的信念にもとづく生きかたをつらぬくためにも、社会進歩のより大局的な利益のためにも、さまざまな困難にたじろがないという勇気と気概をもつことがどうしても必要とされるでしょう。真の生きがいと自己変革
このことは、人間にとって、とくに社会変革の事業にたずさわるものにとっての真の幸福や生きがいとはなにか、どういう生きかたがもっとも人間的な生きかたなのか、という問題についてあらためて問いなおしてみることが必要であることをしめしています。
日本共産党の宮本議長は、戦前に共産党員としての立場を確固としてまもったがために天皇制権力によって殺された小林多喜二の生運にふれて、共産党員の人間性と生きかたの問題についてつきのようにのべたことがあります。
「もちろん共産党員個人としても、生きることに反対な人間はおりません。小林も二十代であれほどの仕事をした作家であります。お母さんもあった、弟もあった、これにたいして彼は非常な愛情を持っていた。自分の仕事にたいしてもたくさん抱負を持っていた。しかし、全力をあげて生きるためには、その生きることにたいして、不当にこれを妨害する迫害にたいして、頭を下げない。下げないということ、このたたかい方、これはある意味ではもっとも気高い人間性の発揮の一つであります。私自身も監獄でしばしば病気で瀕死の状況にたちいたりました。そして監獄側と申しますか、裁判所、検事局は、転向しなくとも陳述して調書をつくりさえすれば外で死なせてやると言いました。しかし私は生きることを大事に考え、人生を大事に考えるからこそ、生きるためにそこからくる避け難い苦難、それがたとえ自分の死を早めることになっても、やはり生きるためにこそ原則を守らなければならないとこう考えて、私もそこを突破したのであります。
共産党員は、本来そういう意味では、この生きるということを、何でも生命あっての物種、動物的生活でも生命さえあれば結構なのだというような種類の人間では決してありません。小林は少なくともこの拷問、この激しい携問が加わってこようとも自分の共産党員として守るべき立場、たとえば住所をしゃべれ、宮本との連絡はどうか、それをしゃべれとか、同志をしゃべれとか、そういうことに彼は屈服しなかったわけであります。これがわれわれの立場であり、また、生きることを大事にするがゆえに、ゆがめられた生き方、つまり自己の念を裏切る生き方、これにわれわれが身を落とさないという、そういう態度の現われであります」(「小林多喜二の生涯と人間性の問題」、1978年、新日本出版社「わが文学運動論」所収)
宮本議長がここでのべているように、人間らしく生きるためには、それをさまたげる不当な圧迫に屈しない、それで生きることを本当に大切にする態度であり、人間性のもっとも気高い発運であるといえるのではないでしょうか。また真の意味での人間の幸福や生きがいがあるのではないでしょうか。一人ひとりにとってただ一回きりのかけがえのない人生を本当に大切にするということは、歴史の流れに受動的におし流されるのではなく、とんな困難があっても歴史の進歩と人生を重ね合わせて生きることにあるのではないでしょうか。
もちろん、すべての人にはじめから本然としてそうした確固とした態度がそなわっているわけではありません。宮本議長や小林多喜二のような人以外は、革命運動に参加する資格をもっていないということでももちろんありません。個々の人間は、さまざまな未熟さや弱点をもちながらも、自分の人生をまじめに社会変革の事業とむすびつけようという決意があれば、組織のなかでの実践と学習をつうじて成長していくことができます。そして、さまざまな困難や労苦は自分自身を変革していく契機となりうるものです。困難に直面してたじろがないという生活の積み重ねによって、進歩的で革命的な生活基準がだんだんと自分自身のなかでうちたてられていくのであって、まず自己の変革をおこなって、つぎに社会の変革をおこなうというような対立的、段階的なものではありません。両者は統一的に解決されうることにほかなりません。
こうして、前衛党、進歩的組織における生活とは、自己変革と社会変革の統一、自己の発展と組織の発展の統一の過程であるともいえるでしょう。マルクスは、一七歳のときに書いた「職業の選択にきいしての一青年の考察」のなかで、「人間の本性というものは、彼が自分と同時代の人々の完成のため、その人々の幸福のために働くときにのみ、自己の完成を達成しうるようにできているのである」、「経験は、最大多数のひとを幸福にした人を、最も幸福な人としてほめたたえる」、「われわれが人類のために最も多く働くことのできる地位を選んだとき、重荷もわれわれを屈服させることはできないであろう」とのべました。彼は、この青年のときの信念を生涯にわたってつらぬきつづけ、困難に屈しないたたかいのなかで、偉大な革命家としての「自己の完成」をなしとげていった人でした。マルクスが決意し実践したこの生きかたを、今日の日本の多くの若い世代がみずからのものとして選び取ることを、つよくねがってやみません。
ソ連崩壊直後の「社会進歩の先頭にたつ新しい人間集団めざして」宮本顕治1992年より
1992年11月3日、日本共産党創立70周年記念、第32回赤旗まつりでの宮本顕治議長(当時)が「社会進歩の先頭にたつ新しい人間集団めざして」と題してあいさつを行い、その中で「組織と人間」について発言しています。収録は『日本共産党の党員像』(1995、新日本出版社)です(PDFはこちら)。該当部分を紹介します。
「組織と人間」再論
大内田 昨年の赤旗まつりで議長が話された「人間」の問題が大きな反響をよんだわけなんですが、この問題を、いまの党のあり方ともかかわって少し深くお話しいただければ、と思います。
正しい社会的日標をもつ組織での人間のあり方
宮本 私は赤旗まつりで話をしたんですが、なかなか反響が大きくて、もう少しききたいという声がつよかったんですね。ああいう角度から、「組識と人間」の関係を分析したのがいままでなかったので、そういうことになったのでしょうね。
いままでは、人間の問題といえば、宗教の対象だという声が多かった。たしかに宗教の課題というのは人間をどう考えるか、どうしたら悟りをひらけるか、どうしたらいわゆる煩悩から解放されるのか、というようなことだったのですが、宗教における人間の悟り方というのもさまざまで、たとえば、達磨の壁に面して座禅をつづけること九年という「面壁九年」という孤立的な修行のタイプもあるし、また一心に念仏を唱えるとか、それから、禅宗なんかで朝夕、いっしょに修行としての座禅を組むというようにさまざまなものがありますね。
そういう状況があるなかで、ことにいまの資本主義の社会では、人間といえば企業社会のなかでの競争的人間しか考えられなくなっています。子どものときから偏差値とかその他でしばりあげられていて、受験地獄、それから入社地獄という就職運動など弱者切り捨て社会のなかで、ほんらいの人間齢なんていうのはどこへいったかという形になっています。一部の宗教論者に社会変革の外に人間というものをもとめる動きもあります。
私たちの人間論というのは、そういうことではありません。人間のおかれた条件というのはさまさまだけれども、そのなかで自分の生産というものを社会進歩とかさねあわせるということが基本になるので、そういうなかできたえられ、試され、いろいろ苦労しながらも、だんだん人間としても成長していくというようになるんです。小林多喜二とか野呂栄太郎とか戦前の私の親しい人たちを考えても、彼らは非常に敏感で学問的にも鋭い探究心をもっていました。そういうものが科学的社会主義に到達して、そこでほんとうに生きるということは生き抜くことだということに徹してすすんだと思うんです。言葉をかえていえば、正しい社会的目標をもつ組織での人間のあり方の問題ですね。組織と人間ということを考える場合には、組織が正しい社会的目標をもっているということに意味があるのです。正しくない目的をもっていたら、どうしても矛盾がでてくるわけですから、自分の生き方と組織の目的が合致できるようなそういうものでなくてはならないわけです。
この問題について、科学的社会主義の創始者たちが、どういう努力をしてきたかということをみると、彼らも人間についてたくさん書いています。それをいまに生かしていえば、私が赤旗まつりのあいさつで要約したように、正しい社会的たたかいのなかでこそ人間的に成熟できるんだということです。そのことをいま、ますます実感としていろいろ考えきせられます。
日本共産党はそういう組織としてあるわけです。党の現状では、地区委員会から支部にいろいろいってくるのは選挙のときだけだという状況もあったんですが、最近は大事な文献の読了とか学習とかを地区委員会が援助しなければなりませんから、選挙のときだけくるという状況ではないと思います。そういう点では、人間的成長が組織的に保障されるわけです。指導のしかたについても、決定の理解にまだそういうふくらみがない場合もあるけれども、利口になろう、勉強しようということをいうようになったことは前進です。これは党の歴史のなかでも最近のことです。むかしは決定を読もうとかそういう学習の指導まであまりやっていなかったんです。いまは党が大きくなって、おおぜいの党員が成長するためにはどういうことが必要かということを、機関がみずから考えるようになりました。
人間論としても完全に堕落していたソ連共産党
そうかう点からみれば、ソ連共産党の場合は人間論としても完全に堕落ですね。だいたい覇権主義の問題など党の目標や彼らのいう「社会主義社会」の目標というものがまちがっていたわけですから、ほんとうの意味の批判と自己批判ということをいっても、それはまったく黙殺されていました。ソ連社会や東欧でも多数の人物が生まれました。そのなかにはまともな人はいたと思うし、そういう人はいまだにまともな道を探究しているようですが。総じてああいう社会では人間は育たなかったといえると思います。育たないから、がんばれといわれても持久性もないわけです。がんばるだけの確信がないわけですから。確信というものは科学的なものでないと信仰と同じになるので、信じろ信じろといわれるだけでは、信じられないということになってくるんです。いままでの世界の共産主義運動の実態、それから覇権主義の方向を是とする風潮、ここからは人間の成長はないわけです。
日本のように発達した資本主義国の場合には、わが党の第十五回党大会で言及したように、物質的生産で新しい社会を用意するだけではなくて、人間の個性の開花の条件をつくるという特徴があります。問題は、どんな個性のあり方かということです。私が赤旗まつりでふれたマルクスの「ドイツ・イデオロギー」などでも、いまいったようなことが結論としては強調されているわけです。その発達した資本主義国のなかで私たちは自律的な規約をつくって活動していますが、そういう人間の個性の正しい開花というものが身につくような実践的なたたかいをやりながら、そのなかで生きていく、知恵をだしていくことが必要です。
伊藤整氏への批評 宮本顕治『文芸評論選選集』第四巻1969年より
前述の志位和夫議長、宮本顕治議長(当時)の発言に出てきた、伊藤整氏の論に対する批判の該当部分を紹介します。『宮本顕治文芸評論選集 第四巻』(1969、新日本出版社)より、「結び━━批評の立場」、「あとがき」です(PDFはこちら)
「結び━━批評の立場」「一」より抜粋(『宮本顕治文芸評論選集 第四巻』1969、新日本出版社)
近代主義的な文学批評理論のいま一つのみなもとは伊藤整の『小説の方法』にみることができる。
「私が驚いたのは、この女主人公に、肉体的な嫌悪感がないことである。罪の意識といへば宗教風になるが、何かさういふ人間存在のある場合に共通に持たれる、特に肉親が恋愛問題をきつかけにして覚える嫌悪感がなく、天使のやうな、理解の美しさがあるといろことは、私には全く予期できぬことだつだ。私にとつて、白痴的としか思はれない盲点がこの作家にあつたのだ。
だが、この作家があのやうに長い間思想を求めて退かなかったといふ経歴は、この一種の無垢さ、人間の理解の明るさ、罪の意識の欠除から来てゐるのであらう。さう思ふと、この作家の思想の成立とその持続の強さが理論的にもわかりさうであるが、私には感覚的に納得できないので、そのつながりは本当にはわかつてゐないやうである。これは女性に特有の感覚の無垢さかも知れない。」(「文芸時評」、「国際タイムス」一九四七年五月)
ここで盲点といわれているのは、世間的に、罪だとされることに、罪の意識を感じない理解の仕方を指しているのである。
『二つの庭』で作者は、多計代を全体としては、その矛盾とともに社会発展の見地から批判している。多計代と柚子との距離は、感情的な、あるいはたんに年齢的なギャップにとどまらない社会的生き方のギャップとして描かれている。作者は、母を旧道徳から、たんに神聖な家庭の秩序への罪、母にあろまじきおこないという因襲的家族主義的な立場からの嫌悪は示していないで、その場ではその心情の内部に立ち入り哀憐をもって母をみている伸子の姿を描いている。作者は、多計代の動きの内的動機をその人生の社会的把握とともに理解すると同時に、全体としては、多計代の生活を古い生活として批判的にあつかっているのである。
つまり、とこでは因襲的には「罪」として盲目的に嫌悪されるにとどまる事柄、本当の因襲的盲点が、生活と社会の合理的展望のもとで、かえって立ち入った解明がおこなわれているのであり、本来の意味の盲点の反対といえる。
ところが伊藤整にあっては、そうした「理解の明るさ」までなぜ盲点という言葉でとらえることになるのだろうか。そこに伊藤塾の立つ文学思潮の問題がある。伊藤整は『小説の方法』で社会的な教育性と芸術性との不一致━━いわゆる「善と真の不一致」を考え、「芸術は、善性と影響の顧慮に場所を譲らねばならない」という、芸術の「譲歩」として、その「善と真」の合致を考ええないとしている。そこで、「芸術が生物として存在する人間の不合理の探索そのものであつてはいけないか。社会への影響といふこと考へれば、それは常に探索そのものであってはいけないらしいのである」という『「鳴海仙吉」の弁明』の言葉が生まれる。また、その『小説の方法」の立脚点として、人間生命の原衝動を満足させることに文学芸術のバネがあるという理念が一貫することになる。「人間は生活を論理で修正する唯一の動物だから、自己保存のために、秩序を意識して保ち、それを改善し、合理的に発展させようとする。しかし生命は、原始的な衝動に即して動かないと充足できない最初の欲求を持つてゐる。それは生命の根本にあると共に、論理的に分割され整理されたすべての思考につきまとつてゐる。その部分において、即ち自己を欺いて整理されてゐる人間の生活のすべての部分において、原衝動は満足されることを求める。求めてゐる。それが真の生命の声であり、それを満足させることが芸術であるらしい。」(『小説の方法』)
「原罪として意識されるのが原衝動ではないか。」これは、人間の生物としての原始的衝動に芸術の創造の根源を見出している生命主義とでもいうべきものであるが、伊藤の場合は、自然主義の文学とちがって、社会的な善性が人間生活に求められていることもみとめはするが、それは、芸術理論として統一されるものになりえない。しかし、生命衝動の発現である罪としての意識そのものが、社会的に変化、発展し、━━原始社会では乱婚も、年老いた人間の遺棄も罪として意識されていない━━人間を社会関係の総和として理解し、現実の認識と認識にもとづく実践を、社会の客観的法則性への能動的認識と、社会にたいするそれにもとづく働きかけとして理解する社会科学の見地に立てば、いわゆる「善と真」の統一を、譲歩としてでなく、原則的な統一のできる方向としてつかめる。したがって、そのような世界観を意識的に芸術創造の中に働かしている革命文学においては、人間の生活の中の「生物的なもの」の無原則的な追究ではなくて、人間社会の一見無限に多数の因子の中から、人間社会の発展方向の認識に即しての一定の評価にもとづく主題や形象の選択方向が生まれる。悲観主義(ペシミズム)や肉欲主義が正当な社会的認識として評価をうけえない認識上の根拠がそこにある。
『宮本百合子の文学』において、伊藤整は日本の文学者としては博識なその文学的認識の中でのさまざまの理解方法を示しつつ、宮本百合子の文学の「調和性」の中に、伊藤の芸術理論からみれば「芸術の譲歩」としての「功利的調和性」をみざるをえない。つまり、宮本百合子の文学の個々の描写上の欠陥への不満というような事柄よりももっと本質的な距離、人生の疵━━「自己の疵と時代の疵」を人工的におおう芸術としての性格をみざるをえないわけである。
もとよりこのことは宮本百合子の文学への評価の問題というよりも、伊藤盤の文学理論の独自な基調の一つとして引例したにすぎない。
社会変革の理想と人間的欲求の便宜的でない原則的な統一の可能の否定が、伊藤の文学観の根底にある。したがって、プロレタリア文学、社会主選リアリズムをめざす諸作品には、芸術にとって堕落や弱点を意味する生命の衝動との便宜的な妥協が必然的であるというのが、当然の結論として生まれる。組織と人間についての二律背反的な懐疑も、それと無関係ではない。
このような文学観の文学者は、生命、その原衝動を守るという意味で戦争とファシズムや統制にたいして反発することがある。そこに今日の水爆の危険と、帝国主義的政治へのこの文学者の不協和音と相対的な批判が可能となる。しかし社会主義政治やその精神に立つ文学を、生命の衝動への不自然な統制とみる点で、社会主義的社会制度と思想・芸術への懐疑と批判が生まれる。
伊藤整の今日の作家・批評家としての流行は、この中庸性に立ち、両面への懐疑と批判を適度に、かつ工夫をこらして読者に語りかけていることにある。
人間をもともと社会的人間、社会関係の総和とみなす、社会主義リアリズムの芸術は、もっとも芸術的自覚的な社会的人間の芸術であり、そこにある社会的理想と人間的希求との調和は、便宜的な強制的なものではなく、能動的自覚的なものであり、自他を統一的に生かすもっとも本質的な方向であると私は考える。したがって、芸術のリアリズムは、資本主義社会の否定と破壊に存在するだけでなく、新社会建設と肯定的人間の描写に際しても本質的な未来をもちうると考える。
伊藤整の批評理論は、体系としては、中村のほどあちこちで援用されてはいないが、社会連勤や社会的理想のための人間的努力への肯定的評価へのシニックな批評の有力な文学的理論的地盤である。そこで、老若の近代主義者だけでなく近代主義から民主主義文学運動に接近しつつある若干の人びとの間にも滲透的な影響力をもっている。
「結び━━批評の立場━━」「一」より)『宮本顕治文芸評論選集 第四巻』1969、新日本出版社)
私は、この経過からうけたつよい印象をいまも忘れることはできない。もとより、私の反批判を、批判される論文の筆者らが極力圧殺しようとしたことは、かれらの官僚主義、セクト主義の病根が深いことの逆証明であって、ある意味では、すこしも不思議ではない。しかし、私は、常任委員会にいた「近代文学」系の人びとは、かれらの戦後の近代主義の主張そのものや日ごろの言論の自由についての言動からみて、少なくとも文学運動内の民主的討論の保障ということについては、それを尊重するだろうとはく然と考えていたが、かれらが運動体の指導機関に席を占めると、とくに、かれらがその一人である指導機関の方向に批判的な言論にたいしては、極力これをおさえる方に努力したという点に、つよい印象をうけた。大西巨人らの論調があまりに非科学的で低劣であったので、結局、私の反論そのものを━━無条件には最後までみとめず、反論の内容次第でという案件つきではあったが━━封殺することはできなかった。伊藤整が、「組織と人間」という設定で、組織にある人間の宿命的非人間性という主題をくりかえし書いた。私は、これを信じたことはない。この組織と人間の統一的発展の可能性にこそ、組織を武器にする新しい人間、新しい歴史の前進の保障があると信じている。しかし、はからずも体験したこの時期の経過は、近代主義者の「近代性」の限界という点で、鮮烈な印象をのこした。しかし、考えてみれば、これも不思議でないことかもしれない。近代主義の合理性は、社会発展の矛盾や不合理の打開のプログラムと結びついた真の科学的全面的合理性でなく、近代的自我、エゴイズムの擁護を根底とするものであるから、結局、こういう場合に、自己の都合を度外視した、真に徹底的な合理性を期待する方が、どだい無理だったのだろう。